こどもでもわかるはなし

小林タクシーのブログ

北朝鮮と交渉してるひとたちについて思うこと

すごく簡単に言うと、
あの国にミサイル持つな、核開発やめろって言ってる国は
「俺のとこは持ってもいいけど、お前んとこは持つんじゃねえ」
って言ってるわけでしょ?

ありうる説得の道すじがあるとしたら
(A)「俺のとこの武器全部すてるんで、全部すててください」か
(B)「俺のとこも持ち続けるので、持ってください(で、お互い打たないようにしましょう)」
のどっちかになるとおもうんですけど、
どうして圧力しかない的に言って煽ってばっかいるんでしょうね。
対話って言わないよね、そんなの。

根源的に僕の目指す方向としては(A)なんですけど(以下記事参照)、
この際(B)でもいいっすわ。
そのどちらでもないってのは、
戦争を煽るだけっていうことに本当気づいてほしい。
なんでお前んとこだけ持っていいんだよ。
その根拠ってなんなんだよ。

kobayashitaxi.hatenablog.com

みんなちがってみんないい

僕たちは何人かで話し合いをしてもらうために誰を送り出すか選ぶ、ということをやっている。 どうして話し合いをする人を選ぶのかというと、 何千万人かでワーワー話してたら、たぶんどうにもおさまらないから。 だから選ばれたひとは自分の言いたいことを言うってだけでなく、みんなでワーワー言ってたらどうにもおさまらないようなことをちゃんとおさめてかなきゃいけない。 おさめるためにどうしたらいいかっていうと、 意見が違うひとたちの意見を調整し、なるべく意見をひとつの方向にまとめていくという作業が必要になる。 で、そのときに「できる政治家」はなるべく自分の思う方向にみんなの意見をまとめていくのだと思う。

意見をまとめていく、なんてちょっと当たり障りのない言い方をしたけれど、 より正確に言えば、意見が異なる相手に対して考えを改めてもらう、ということをやってるのだと思う。 それが話し合いをすることの一番の意義だと思う。 誤解をおそれずにいえば、国会議員に選ばれるひとには多少のブレがある、という前提の上で僕らは国会にひとを送り出している。 じゃなきゃ何も考えず、議決のときにただ挙手だけできるマシーンがあればいい。 なんでわざわざブレや葛藤のある「人」を選んでいるか、そのことを考えると、選挙のより深い意味合いがみえてくる。

意見の違うひとに意見を変えてもらうために一番有効なのは「そのひとの意見をちゃんと聞く」ということだと思う。 聞いた上で、でも自分はこうだと思う、と伝えること。 それなしにいくら自分の意見の正当性ばかり主張しても、相手が意見を変えるなんてことは、まずありえない。

でもみんな驚くほどこれをやらない。 僕らがなんとなく政治家って嫌だなー、政治の話ってやだなーとおもうのは、「相手のことを無視して、自分の言いたいことだけ言っている」というイメージを持っているからだとおもう。 朝まで生テレビや、たけしのTVタックルで、嫌というほどそういう光景を見せられてきた。

なので「100%同じ意見なんてことはありえない。それでいい。自分は意見の違うあなたの意見を尊重する。あとはそれを前提にどう話し合っていくかだ」というのが一番いいなと思う。 そういうひとに選ばれてほしい。

万国の万国による闘争

日本の島々のちかくを 中国の軍艦が通り大騒ぎになってます。

「このままいくと日中の武力衝突は時間の問題かもしれない」

この危機に際して、 となりの国の横暴におびえる大人は、 アメリカ軍基地の駐留に反対と叫んできたひとびとを 「馬鹿か」と罵り、 SEALDsの若者に対しては 今すぐ船にでも話し合いにいってきてくださいよと あらん限りの皮肉をこめてこれまでのみずからの言説を正当化しています。

(危機だというのに彼らが興奮したようにみえるのは気のせいでしょうか?)

「米軍基地反対の反対」を主張する彼らにとって、 日米同盟こそは命です。 中国の脅威をしりぞけるには アメリカ軍の協力はなくてはなりません。

中国が軍艦で威嚇してくるなら、 きっとアメリカの軍艦でもって威嚇返しをするでしょう。 威嚇に威嚇でかえすなんて、なんだかヤクザの世界みたいですね。 でもこの「警察のいない無法者の街」である世界では、 ヤクザくらいしか頼れるものはいないのかもしれません・・・。

このブログでのくりかえしになりますが、 日本くんやアメリカくんや中国くんが住むこの世界には警察がいません。 一時期アメリカくんが 世界の警察官ぶっていた時期がありますが、 僕はいまもむかしもアメリカ軍が 警察官だなどとは思っていません。 どちらかというとヤクザみたいだなって思ってます。 ついでに言うとすべての軍隊はヤクザみたいなものだと思ってます。

「は?」と思われるかもしれません。 軍隊も警察も国家公務員です。 同じように制服を着て仕事をしています。 感覚的には警察のほうが近い気がします。 でも、それは感覚だと思います。

軍隊と警察の一番の違い、それは

自分以外の暴力を認めず、 自分以外に暴力をふるったものを犯罪者としてとりしまることができる

ということです。 できるのが警察。 できないのは軍隊。

※逮捕したり、身柄を拘束したりする力を広義の暴力といいます。

国境という境界線のなかで、 唯一暴力を振るうことが許され、 唯一武器の所持を許されている警察は、 自分以外の暴力の存在を絶対に認めません。 それを認めてしまったら自らの存在意義が問われてしまうからです。 ときには冤罪事件がおこってしまうほど、 彼らが殺人事件の犯人を執拗に追うのはそのためです。 彼らのそのような一方的な暴力はまた法によって認められています。 日本は法治国家ですが、 法がまもられなかったときに発動するのは警察の暴力です。 その意味で私たちの国は、暴力によって守られているとも言えます。

軍隊は持っている武器こそ警察よりも強力ですが、 そんなふうに一方的に自分の側を合法・敵の側を違法と 決めつける力はありません。 もちろん戦争をやってる当人は 自分の側が正義だと思って戦争をはじめます。 しかし相手も正義を名乗ります。 どちらが正しいかはさておき、生まれる関係性としてはイーブンです。 警察のように一方的に合法的なものが 非合法な相手を組み伏せるという図式にはならないのです。

この一方的暴力で社会をまもる、という発想を理論的に体系立てたのは 17世紀イギリスの政治的学者・ホッブズです。 彼の有名なことば「万人の万人による闘争」は、 絶対的なちからを持つものがいない世の中では すべてのものがすべてのものと自力で戦わねばならないため 混乱した悲惨な社会が訪れることを示しています。 たとえ最強のものであっても 寝首をかかれる恐怖におびえなければならない。 その悲惨な状況を脱するには、ひとびとが少しずつ暴力の権利を手放し、 それを国家という圧倒的な暴力の源泉にゆだねることで 平和をたもつことができる。 彼はそう考えました。

彼の目論見は17世紀絶対王政の時代以降も脈々と受け継がれ、 いまの警察システムのようなものができあがっていくのですが、 一方で「暴力の権利」という餌をあたえられて 肥大化した国家という名の化け物(リヴァイアサン)は 国家同士で殺し合いをはじめます。 「万国の万国による闘争」です。

この状況をおさめるにはどうしたらいいか?

僕はホッブズ方式をもう一回やったらいいと思うんです。 国民からちょっとずつ暴力の権利をうばってリヴァイアサンをつくったように 国家からちょっとずつ戦争の権利をうばって国家に対してのリヴァイアサンをつくる。

f:id:kobayashitaxi:20160609224409j:plain

そんな巨大な暴力があらわれたら不安に思われるかもしれませんが、 対抗馬のいない唯一合法の巨大暴力として警察が君臨している日本社会は 安全にまわっているように見えます。

武器はいらない、軍隊はいらないと思うひとは多いけれど、警察もいらないと思うひとはあまりいないんじゃないでしょうか。

視点を大きく持って、 自国の安全だけじゃなく世界みんなにとっての安全を考えたら ここにいくんじゃないかと僕は思います。

なのでヤクザにショバ代はらってまもってもらうみたいな日米同盟は嫌だなとおもうし 自分で武器をもってたたかうというのも違うなとおもいます。 たたかうまえに110番して警察呼べるのが一番いいんじゃないかとおもいます。 警察いない無法地帯で念仏のように戦争反対をとなえるのもいやです。 ちゃんと法治国家というか法治世界(?)であってほしい。

みなさんはどうでしょうか?

なんで警察いないのという素朴な疑問

ダライ・ラマ14世が「戦争って犯罪なんじゃないの?あなたたち洗脳されとるよ」と言ってます。 以下、[ダライ・ラマ14世日本公式サイト](http://www.dalailamajapanese.com/messages/world-peace/the-reality-of-war)より。

軍隊は合法であるため、戦争は受け入れられるものだと我々は感じており、
一般的に、戦争は犯罪でありそれを受け入れることは犯罪的な態度であると感じる人はいません。
事実、我々はずっと洗脳されているのです。戦争は魅力的でも興味をそそるものでもありません。怪物のようなものです。
その本質は、悲劇であり、苦しみです。

理由のいかんを問わず、人を殺せば犯罪になります。

たとえわが子を殺された親であっても、相手を殺せば殺人罪に問われる。
一見冷たいようですが、これによってぼくたちの住む社会は怨念の連鎖に巻き込まれず保たれているのです。
それとおなじく理由のいかんを問わず、戦争を遂行することも犯罪とシンプルに言えたらいいのですが
残念ながらいまの世の中はそうはなっていません。

多くの国会前で「戦争反対!」と声をあげる若者はもちろん、
日本も武器をとって抑止力を高めるべきと主張する、いわゆる右派のひとびとにとっても戦争は避けたいものです。
核武装せよ!」なんて聞くとギョッとするかもしれませんが、彼ら核武装論者は戦争を避けるために核武装せよと言っているのですから、
手段が異なるだけで目的としての「戦争回避」という気持ちは一緒です。
できれば戦争なんて経験せず、安らかな一生を過ごしたいわ〜、そんな風に思っている日本人が99パーセントなんじゃないでしょうか?
(ごくまれに戦争でも起こって全てがひっくり返らない限り幸せになれないと考える独善的な変わり者がいますが、そんなひとはごくごくマイナーな存在だとおもっています)

さてそんな誰にとっても嫌がられてる戦争なのに、それでも戦争は起こってしまいます。

相手から吹っかけられる場合というのがそれです。

この世は自衛のための戦争はしちゃいけないと定められていないので、自衛という名目で戦争がはじまってしまうことは往々にしてあります。
2003年のイラク戦争は当時のアメリカの言い分としては大量破壊兵器を隠し持っている敵国から我が国を守るための自衛戦争なのでした。
自衛と言えばごり押しで戦争というものははじまってしまうのですね。

そんなわけで人を殺すと犯罪になるのと同じレベルで戦争を起こすと犯罪になるということはありません。
戦争のほうがいっぱい人が死んだり傷ついたりするのにですよ?不思議ですよね。

果たして吹っかけられた戦争から身を守るには自ら武器をとるしかないんでしょうか?

前回のブログで日本やアメリカという国をひとりの人間と見立てて、彼らの住む町には警察がいないんですよー、怖いですねという話をしました。

kobayashitaxi.hatenablog.com

だったら警察つくればいいじゃん、なんで警察いないのと思いませんでした?
えっとー、つくればいいんじゃない・・・?というのが、ひとまず今日の僕の言いたいことです。

世界共通の警察、というのをつくる。
あらゆる戦争は違法として取り締まる。
武器を持っての反撃は正当防衛とみなさない。
すべて安全に関することは、世界警察におまかせする。

我ながら超ナイスアイデアだとおもうのですが、いかがでしょう?

きっとこんなことはいままでも誰かが考えてきたことだろうし、
それが実現されてないということは何かが困難だと思われてるようです。
が、それって本当に困難ですかね?
戦争が違法じゃないように仕向けられてるだなんて、洗脳されてるだけじゃないですかね?
ダライ・ラマ14世には遠く及びませんが、なにが問題になっているのか僕なりに丁寧に考察していきたいと思います。

つづく

右も左もわからない

あるところに日本くんが住んでいました。

日本くんが住む町(世界と呼ばれています)はとても治安が悪く、
みんながみんなに銃をぶっ放すようなそんなクレイジータウンです。
そして日本くんが住む町には警察がいません。
だから自分の身は自分で守るしかないのです。

ずっと「僕は平和主義だから」といって、けんかしてる集団との関わりをなるべく持たないようにしてた日本くんですが、最近アメリカくんに「銃もって俺のグループに参加しない?」と誘われました。
ひとりでいるよりみんなでいたほうが安全かも、と日本くんは右の脳みそでそうおもいました。
近頃となりに住む中国くんが、自分の家の庭にちょいちょい入ってきたりして不穏な気持ちになったりしてたのもあり、次第にそんな気持ちが高まっていたのです。

でも日本くんにはふたつの脳みそがありました。
右の脳みそと、もうひとつは左の脳みそです。

左の脳みそはいいました。
「だめよ。いままで誰もなぐらずに恨みを買わずにやってきたのに、そんな奴らと関わったら何やらされるかわかんないじゃない。戦争反対!あと原発も反対!」
日本くんは護身用のちっちゃいナイフ(自衛隊といいます)はもっていますが、
それ以上の「こっちから攻撃する用」の武器はもっていません。
問題は話しあいで解決するべき、と左脳は訴えます。

外ではおそろしい銃弾が飛び交うなか、日本くんは今日も家のなかでうんうん唸っています。
彼のあたまのなかでは激しく右と左が言い争っているのです。。。

さて、日本くんはどうするべきなのでしょう?

僕の考えですが、銃弾が飛び交う危ない街に住むとしたら
次の三つの行動のいずれかをとるのが普通なんじゃないかとおもいます。

A.引っ越す
B.銃で武装してどの喧嘩にも首をつっこまない
C.みんなが一斉に銃を捨てるよう呼びかける

A案が一番いい気がしますが(笑)、日本くんにとっては世界を離れて宇宙空間に飛び出すということになってしまうので難しいですね。
BとCは特別おかしなことは言ってないかとおもいます。
現実にアメリカの銃の所持を認めてる州では、銃乱射事件がおこるたび、BとCが争点になったりします。
みんなが一斉に銃を捨てるのは理想的ですが、「あいつ、じつは隠し持っているのでは?」という疑心暗鬼がはたらき、なかなか銃規制に進まないのだそうです。

でも日本ではそのBC二択にすらたどり着いていません。

日本の右寄りのひとは、銃で武装して喧嘩に首をつっこもうとしているし、
日本の左寄りのひとが、自国以外の国に対して銃を捨てるよう呼びかけている様子もありません。
いや、すべての右翼・すべての左翼がそうではないのですが、大多数として。
そしてそれははっきりいってどっちも中途半端ではないかなと思います。
なのに頭のなかでたがいの悪口ばっかり言い合っています。

今年の選挙の争点が憲法改正するか否かになりそうということもあり、どんどん話は内向きになっていってますが、日本くんは脳内だけでなく、窓の外にも目をむけてほしいなとおもいます。
じゃないといつか流れ弾に当たって死ぬんじゃないかと心配です。

でもこの話で一番へんなところは、この町に警察がいないってことだとおもってます。

それについてはまた後日。