こどもでもわかるはなし

小林タクシーのブログ

なんで警察いないのという素朴な疑問

ダライ・ラマ14世が「戦争って犯罪なんじゃないの?あなたたち洗脳されとるよ」と言ってます。 以下、[ダライ・ラマ14世日本公式サイト](http://www.dalailamajapanese.com/messages/world-peace/the-reality-of-war)より。

軍隊は合法であるため、戦争は受け入れられるものだと我々は感じており、
一般的に、戦争は犯罪でありそれを受け入れることは犯罪的な態度であると感じる人はいません。
事実、我々はずっと洗脳されているのです。戦争は魅力的でも興味をそそるものでもありません。怪物のようなものです。
その本質は、悲劇であり、苦しみです。

理由のいかんを問わず、人を殺せば犯罪になります。

たとえわが子を殺された親であっても、相手を殺せば殺人罪に問われる。
一見冷たいようですが、これによってぼくたちの住む社会は怨念の連鎖に巻き込まれず保たれているのです。
それとおなじく理由のいかんを問わず、戦争を遂行することも犯罪とシンプルに言えたらいいのですが
残念ながらいまの世の中はそうはなっていません。

多くの国会前で「戦争反対!」と声をあげる若者はもちろん、
日本も武器をとって抑止力を高めるべきと主張する、いわゆる右派のひとびとにとっても戦争は避けたいものです。
核武装せよ!」なんて聞くとギョッとするかもしれませんが、彼ら核武装論者は戦争を避けるために核武装せよと言っているのですから、
手段が異なるだけで目的としての「戦争回避」という気持ちは一緒です。
できれば戦争なんて経験せず、安らかな一生を過ごしたいわ〜、そんな風に思っている日本人が99パーセントなんじゃないでしょうか?
(ごくまれに戦争でも起こって全てがひっくり返らない限り幸せになれないと考える独善的な変わり者がいますが、そんなひとはごくごくマイナーな存在だとおもっています)

さてそんな誰にとっても嫌がられてる戦争なのに、それでも戦争は起こってしまいます。

相手から吹っかけられる場合というのがそれです。

この世は自衛のための戦争はしちゃいけないと定められていないので、自衛という名目で戦争がはじまってしまうことは往々にしてあります。
2003年のイラク戦争は当時のアメリカの言い分としては大量破壊兵器を隠し持っている敵国から我が国を守るための自衛戦争なのでした。
自衛と言えばごり押しで戦争というものははじまってしまうのですね。

そんなわけで人を殺すと犯罪になるのと同じレベルで戦争を起こすと犯罪になるということはありません。
戦争のほうがいっぱい人が死んだり傷ついたりするのにですよ?不思議ですよね。

果たして吹っかけられた戦争から身を守るには自ら武器をとるしかないんでしょうか?

前回のブログで日本やアメリカという国をひとりの人間と見立てて、彼らの住む町には警察がいないんですよー、怖いですねという話をしました。

kobayashitaxi.hatenablog.com

だったら警察つくればいいじゃん、なんで警察いないのと思いませんでした?
えっとー、つくればいいんじゃない・・・?というのが、ひとまず今日の僕の言いたいことです。

世界共通の警察、というのをつくる。
あらゆる戦争は違法として取り締まる。
武器を持っての反撃は正当防衛とみなさない。
すべて安全に関することは、世界警察におまかせする。

我ながら超ナイスアイデアだとおもうのですが、いかがでしょう?

きっとこんなことはいままでも誰かが考えてきたことだろうし、
それが実現されてないということは何かが困難だと思われてるようです。
が、それって本当に困難ですかね?
戦争が違法じゃないように仕向けられてるだなんて、洗脳されてるだけじゃないですかね?
ダライ・ラマ14世には遠く及びませんが、なにが問題になっているのか僕なりに丁寧に考察していきたいと思います。

つづく